シーソーを漕ぐ音、「ギッコンバッタン」という擬音の抱える深刻な問題
幼稚園児の頃、鬼のようにシーソーに乗って遊んでいた時期があった。それはもう狂ったようにシーソーに乗り、飽きることなく上下運動を繰り返し続けるのだ。今考えると、とんでもなく生産性のない行動である。国の生産力を著しく下げてしまったことに、謝罪の意を表するとともに、シーソー遊びに付き合ってくれた両親と祖父母には深い感謝を示したい。ありがとう。
さて、この国の生産力を低めんとする、悪魔のような遊具、シーソーであるが、その動く音がどう考えても私の理解の範疇を超えているしか言いようがない。
「ギッコン、バッタン」
ギッコンバッタンて何?というのが素直な感想である。よく耳をすませて欲しいのだが、どう考えてもシーソーの動く音は「ガコン、ガコン」であることは疑う余地がないだろう。
それなのに唐突に謎の擬音「ギッコンバッタン」。この音が一体なんなのか、どこから出てきたのか。詳細は全くの不明である。余りに脈絡が無さすぎる。これは最早人の理解の範疇を超えていると言っても過言ではないだろう。
そのあまりの意味不明さに少し恐ろしささえ覚える。い、一体ギッコンバッタンって何なんだ....?必殺技かなんかなのか....?迂闊に近づけねえ....こ、怖え....怖えよギッコンバッタン....
これが近所の公園にあったシーソーに対面した時の私(当時5歳)の心境である。
今、私は問いたい。未だかつてこんなに意味不明な擬音があっただろうか?ここまで物本体と相関を見出せないとんでもないぶっ飛んだ擬音があっただろうか?ここまで、児童を恐怖に陥れた擬音が有っただろうか????
ある。「ドンブラコ」である。
「桃太郎」という、鬼のようにデカい桃が流れてきてそれを割ると、一流マジシャンが如く人間が出てきて、その人間が雉猿犬の力を借りて鬼を皆殺しにして宝物を獲得するというハートフルかつサクセスフルなストーリーがあるのだが、
その際クソデカい桃が流れてくる音が「ドンブラコ、ドンブラコ」なのだ。
作中では特に断りもなく唐突に桃がドンブラコし始めるのだが、このドンブラコという擬音、「デカい桃が流れる時の音」以外の用途が全く無い。とんでもない汎用性の低さである。こんな鬼のように使いづらい擬音を用いる必要があるのか?
だがドンブラコ。しかしドンブラコなのだ。デカい桃が流れる時の擬音はドンブラコ。それがさも当然であるかの如くドンブラコ。この「ドンブラコ」も「ギッコンバッタン」と同じ様に意味不明な擬音なのだ。桃太郎にどハマりしていた私(当時3歳)も、この得体の知れぬ擬音「ドンブラコ」が恐ろしく、桃がdon-burakoingしてる間は鬼の様に泣き喚いていた。
こんな、意味不明な擬音が2つも世の中に蔓延っている現状は、子供への教育に悪影響を及ぼす恐れがあるので、即刻解消する必要がある。
「意味不明であること」を解消するには、意味を与えればいいだけの話である。つまり「ギッコンバッタン」と「ドンブラコ」の新しい意味を考えれば良いのだ。
例えば、これらはどうだろう。
「私は迫り来る性犯罪者を、ギッコンバッタンとなぎ倒した。」
悪くない。シーソーが如く鬼の様に敵を倒す姿が目に浮かんでくる様である。ただ性犯罪者が迫り来る状況で「戦闘」を選択するのは、身体が危ない可能性があるのでオススメはしない。最良なのは「警察を呼ぶ」ことだ。
「ギッコンバッタンと、時計の針が進む」
時計が鬼の様に精密性を失った代わりに、恐ろしく力強く時が進んでいる様に感じさせる表現だ。時間の大切さを思い知らされる。悪くない。だが、精密性を欠いた時計は間違いなく「ゴミ」である。ただの針が動くクソみてえなオモチャでしかない。ギッコンバッタン時計だけは購入をオススメしない
「(物を持ち上げる時、席から立ち上がる時)ドンブラコっと。」
ヨイショっと的なノリで繰り出されるドンブラコ。その物が重いのか軽いのか、情報量はほとんど0と等しいと言っても過言では無いが、唯一言えるのは「気味が悪い」ということである。唐突に物を持ち上げる時ドンブラコ。席から立ち上がる時ドンブラコ。現実世界を桃太郎の世界と勘違いしている異常者の誕生である。
「ドンブラブラブラブラブラブラ!!!!!!!(排泄音)」
ブリブリに比べてブラブラだと圧倒的にパワーを感じる。すごく、量が多そう。それがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。ただ、糞の量がすごく、多そう。あと、臭そう
「最初はグー、ドンブラコっ!」
ジャンケンの秘められし4手目、ドンブラコ。ジャンケンは3手しかないという常識を突き破り生まれたドンブラコ。その強さは完全に未知数である。ただ、強さとかに関わらず「最初はグー、ドンブラコっ!」という謎の掛け声と共に鬼のように捻れまくった手を見せつけてくる人。「それ何?」と聞くと「え、ドンブラコだよ?」と平然と返してくる人。シンプルに、怖い。常識が通用しない人間ほど怖いものはない。ジャンケンは3手という世界の常識を覆すような4手目。彼は革命家か何かの類なのだろうか。嗚呼
----------
気がつけば生活のあらゆるシーンでギッコンバッタンとドンブラコを探し続ける自分がいた。これはギッコンバッタン。これはドンブラコ。いや、こっちの方がドンブラってるか....?むしろギッコンバッタンかもしれないな....
最早、側から見たら異常者である。物を見つめては「ギッコンバッタン」だの「ドンブラコ」だの呟き続ける。怖すぎる。通報案件である。
だが、真実の探求者というものはこういうものなのだ。誰からも理解されず、批判される日々。それでも、前を向き探求を続ける。そしていつか彼は手にするのだ、本物の「ギッコンバッタン」「ドンブラコ」を。
いつか、望んだものは手に入る。それまでは、ゆっくり過ごそう。
そして彼はギッコンバッタンと船を漕ぎ、想像力の世界へとドンブラコ、ドンブラコと、気ままに流れていくのだった。
おしまい