人生最大の告白を。
文章というのは、自己表現をするツールとしてはかなり上等なものであると近頃思う。言葉やジェスチャーに比べ劣る部分はあるが、それよりも優れた部分が多々あると思う。
例えば、規制の緩さ。余程の物でなければ、口に出すのは倫理的にNGであろう表現や出来事も、文章にしてしまう分にはさほど問題にはならないだろう。
意見表明も易い。文章にする段階で、自分の意見の整理ができるからだ。考えが簡潔にまとまり優れた意見表明ができる。
そして何より、「嘘」がバレにくいという部分が非常に大きい。これは言葉や他のツールではあり得ない事だ。
現実には発生しなかったこと、あるいは自分が一切考えていないような事、そういったことを書いたとしても、しっかりと表現を選べば読み手にはそれが嘘であることは伝達されない。
何故なら、筆者は読者から見えないからである。表情の節々から心の機微を読み取るといったことはできない。ここから読み取れるように文章というのは精度を書いた表現技法であり、嘘がある程度是認されていると言えるだろう。
さて、この前提を踏まえて私は考える。嘘が是認されるツールであるからこそ、100パーセント真実が書かれている文章に価値があるのではないかと。
正直に言おう、今までの記事には嘘があった。黒烏龍茶を60L飲んだというのは嘘だし、IQが5兆になったというのも嘘だ。
今回の記事では皆に伝えたいことがある。しかしそれすら嘘なのではないかと疑われているだろう。当然だ。今まで私がしてきたことはそれほどの重罪だ。
だが信じて欲しい。今回の記事では嘘を言わない。絶対に嘘をつかない。それだけは、嘘じゃない。
分かっている。信頼を回復することは容易ではないことを。行動で示す以外にないということを。
だけどただ、ただこの一度だけ、一度だけ信じてほしい。私が歩んできた人生で最大の告白。そこに嘘が混ざろう筈がない。信じてくれ。
信じてくれただろうか。
信じてくれたアナタを信じて、
伝えよう。
私の真実を。
私の告白を。
オレ、実は顔面小栗旬やねん__
嘘です
ちなみに彼女と別れました こっちはホントでふ
山本